「思い」の言葉
重荷
2023-05-21
人は悩みを抱えてしまうと
大きな「重荷」を背負ってしまいます。
その「重荷」に耐えられなくなり
時には
眠ることが出来なくなったり…
食事ができなくなったり…
人に会いたくなくなったり…
また、自身の存在を消し去りたい
心境になってしまったり…
「重荷」だけに重すぎて動くことが
出来ない状態になってしまいます。
しかし、その「重荷」を誰かと共に
持つ事が出来たら、それだけでも人は
立ち上がる切っ掛けが見つかるものです。
カウンセリングとは、その「重荷」を
共有することであり、自身を悩ます
「重荷」を見つめていくものでもあります。
自身の為に、いま抱える「重荷」を軽くし
見つめてみるのも大切な事でしょう。
強そうに見えて弱いのが人間であり
弱そうに見えて強いのが人間であります。
合 掌
成長
2023-05-01
人は死ぬまで「成長」と言いますが
生きることは辛さや苦さの連続でもあります。
仕事のミスを悔やんだり
ほんの些細な一言に傷ついたり
過去の体験を引きずっていたり
生きていくことはややこしいものであります。
しかし、心理的な側面から言うと
人間の器が成長をしていないだけに
モヤモヤとした悩みがこころに
満ちているのかも知れません。
心理臨床のカウンセリングは
人のこころを「成長」させる
ものでもあります。
「成長」し育むことによって
人としての器が
変化し、自然と消えていく
苦労や悩みも沢山あります。
その器作りの「成長」が
カウンセリングの目標でもあります。
合 掌
自ら…
2023-03-28
「俺に救われるのではない、
自らが自らを救うのだ」
(絲山秋子・『海の仙人』より)
心理臨床のカウンセリングは不思議なのもです。
クライエントは自身のこころの痛みを
何某かの救いを求めてカウンセラーの
元に訪れます。
しかし、カウンセラーは何もしません。
するとたしたら
クライエントの描いたバウムを眺めたり
クライエントが作った箱庭を味わったり
クライエントの話を静かに聞いていたり
ただ、それだけです。
でも、クライエントは何かを収めた様に
元気になっていきます。
そこに、葛藤や涙があっても…
心理臨床のカウンセリングは
おこがましく、コマーシャルするように
カウンセラーが良く〈救う〉すると
言うものではありません。
クライエントが「自らが自らの力で〈救う〉」
元気になっていくのが本来のカウンセリングの
意味合いであります。
カウンセラーはそんなクライエントと
共に歩んで行くのです。
合 掌
切らずに切る
2023-03-07
「切らずに切る」
(河合隼雄)
3月はお別れの季節です。
学校や職場、様々な環境での
区切りのお別れがあります。
それはカウンセリングに於いても
同じです。
出会ったクライエントとは
多様なお別れがあります。
でも、それで宜しいのです。
別れて良いのです…。
カウンセラーがクライエントに
求める物は…それは「自立」です。
カウンセラーの支えに頼らない
自身で歩んで行ける「自立」です。
カウンセラーに頼らない姿が
本来のクライエントの姿です。
しかし、お別れしても
お互い(カウンセラーとクライエント)に
こころのどこかで繋がっています。
そんな、「切らずに切る」関係こそが
クライエントとカウンセラーの
適度な良い関係性でしょう。
そしてまた、クライエントのこころの
中に重荷が生まれたとき
カウンセラーは暖かく向かい入れていきます。
合 掌
キーワード
2023-02-11
心理臨床の
カウンセリングは
「悩み」と言う題名の元
クライエントと
カウンセラーは
様々なことを語っていきます。
普段、抑えていた気持ちを吐露しながら…
また、抑えきれぬ気持ちを吐露しながら…
自身を見つめながらクライエントは
語っていきます。
語っているうちに、そこにクライエントが
自身しか表現できない「キーワード」が
生まれてきます。
その「キーワード」と「悩み」が
こころに収まった時
クライエントはこころの落ち着きを
得ていくことでしょう。
心理臨床のカウンセリングは
カウンセラーが「キーワード」を
与える物ではなく
クライエント自身が「キーワード」を
見つけていく物です。
そこに「語る」事と「聴く」事の
大切さがあるのです。
合 掌